タイパー・インタビュー

タイパーアドカレなどで行ったインタビューまとめです(かり~)

タイパーインタビュー07:doraguさん

 この記事は、タイパーアドカレ2020の16日目、第7弾タイパーインタビュー記事になります。

 

 今回のインタビューでは、タイパー最古参のお一人であるdoraguさん(@doragukana)に、最初期のタイピング界隈のお話などを伺いました。

 ◆ ◆ ◆

 

――タイピングを覚えたのはいつですか?

 大学1年のころだったと思います。兄がPCを親に買ってもらって、それで初めてPC&キーボードに触った感じですね。

 

――doraguさんの世代だと、まだ大学生でもPCを持っていなかった人が多かったのでしょうか。

 少なくとも高校時代はPCの話をまったくしなかったので、たぶんかなり少数派ですね。プレステとかの家庭用ゲーム全盛でした。

 

――その頃は何かタイピングソフトで練習しましたか?

 たしかWindows98にプリインストールで入ってたMAGIC FLIGHTっていうタイピングソフトですね。そもそもPCで何ができるのかもよくわかってなくて、たぶんソリティアとかマインスイーパーとかやっていく流れで触ったのかなぁ・・。

 それでとりあえずキー配置を覚えてなんとか文字が打てるようになった頃にプロバイダに契約してようやくインターネットに繋がって、何か検索するくらいには困らないくらいには打てていたような気がします。

 

――そこから競技タイピングの世界を知るのは、やはりdqmaniacさんの日記がきっかけでしょうか。

 そうですね。たしかFF5攻略サイトをあさってるときにdqさんのページにたどり着き、美佳タイプを知ったという経緯です。

 『タイピング Professionals』でむなしいが、dqさんのドラクエ攻略サイトからTypingAttack(美佳タイプのランキングサイト)に来た人が100人くらいはいたんじゃないかなと書いてたので、FFから来た人も合わせると200人はいたってことになりますねw

 

――確かに、僕もFFがきっかけだったかもしれません(笑)それからすぐに美佳タイプを始めたのですか?

 そう。確かその少し前に北斗の拳の激打をやっていて、ラオウまで撃破していて、

 その当時たぶん一番有名なタイピングソフト(笑)じゃないですか。でその最高峰の敵を倒してるのでタイピングにおいてはトップレベルの実力だと思ってたわけですよ。

 その結果どうだったかはもう聞き飽きたフレーズだと思うので割愛しますw

 

――そこはぜひdoraguさんの口から聞かせてください(笑)

 えー。。。まぁとりあえず上位陣は不正だろうなと思ったのが第一印象ですねw

 TypingAttackの美佳タイプのスコア登録って、ひらがな換算で何文字打てたかを登録するじゃないですか。今考えるとワードにすごい左右されるので変な気がしますが。

 で、それとは別に分速の打鍵数(今でいうkpm)も表示されるから、そっちのほうを間違って登録してるんじゃないかなとか思ったりも。

 

――なるほど。そもそもTypingAttackは自己申告の登録ですもんね。それでも美佳タイプは継続されたのですか?

 そうですね、たしか二日くらいやりこんでローマ字180文字/分ちょっとでスコア登録して。ランキングトップがたしか、かふぇおれさん(当時はAllGreenというHNだったと思う)の470文字くらいだった気がするので、2.5倍くらいですか。ラオウの2.5倍とかありえないだろと思いつつも、こいつマジなのか・・・と、まだ半信半疑ではあったけどとりあえず記録が伸びるのが楽しかったので積極的にランキングに登録して続けてましたね。

 

――それからしばらくは一人で黙々と練習していたのですか?

 そう・・・だと思うけど時系列が思い出せないw

 確かザ・タイピング・オブ・ザ・デッド(TOD)が大学前のゲーセンにロケテストで入ったころにやって惨敗して、そのあと美佳タイプで実力を上げてから挑んだって流れな気がするから、たぶんある程度一人でもくもく美佳タイプで修行してた気がします。

 で、TODで3コインか4コインかでクリア(medium easy)できた時にTypingAttackの掲示板で報告したのがタイピング関連では他の人との初交流でしたね。

 その報告した直後に「俺も3コインでクリアできたぜ~」って感じでニヤつきながら(想像)レスしてきたのがむなしいでした。

 

――(笑)その頃からむなしいさんをライバル視し始めたのでしょうか。

 そうですねw だいたい自分より少し上にいつもいたんでいい目標でした。

 

――そこから、TypingAttackの掲示板以外でも交流を積極的にされたのでしょうか。当時は、Jinさんやむなしいさんなど、ジオシティーズにフリーの掲示板を設置されているサイトも多かったような記憶があります。

 Jinさんは昔から設置してたかもしれませんが、むなしいとか自分がHP作ったのは割と後ですね、たぶん。なので当時はあんまり覚えてないけど、TypingAttackとか、JinさんとかIbukiさんとかの掲示板でやり取りしてたのかなぁ。あと、同じ関西のasshさんの掲示板とかも流行ってた気がします。

 

――TypingAttackにはチャットもありましたが、そちらにも参加されていたのですか?

 チャットに参加したのは少し後ですね。TypingAttackのサイトにチャットが存在してるのは知ってたんですが、なんせインターネッツ初心者なので掲示板にカキコで精いっぱいで、チャットは勇気が出ずにしばらく踏み込めませんでした。

 これも時系列思い出せないけど、いわゆる2001年3月のオフ(秋葉原パセラTODオフ)より前にはチャットはしていたとは思います。

 

――その頃にはチャットも盛り上がっていたのでしょうか。

 そうですね、2001年~2002年くらいまでが一番盛り上がってたようで、夕食食ってチャットに入って朝までとか普通にありましたね。

 チャットには常にトップレベルな人がいる状態で、一番最初に自分が入ったころ(2000年代な気はするが記憶なし)は確かPocariがいて、「365日美佳タイプ」といった美佳タイプ愛に満ちた発言は今でも覚えてます(トップの人が毎日練習してるんじゃ絶対追い抜けねーじゃねーか〇ソが!って心の中で思いましたw)。

 2001年前半くらいにはKeNoやたにごん、MADRIGALが常連としてくるようになり、夜な夜なタイピング談義やリアルタイムでの記録更新合戦とか、TA(TypingAttackの略)チャット独自で始まったタイピングゲーム(といっても出題者がお題を書いてそれを一斉に打って速い人が勝ちってだけですが、当時はめちゃめちゃたのしかった)とか雑談とかで気づいたら朝って感じでw金曜夜はみんなでGANGASの更新を待って盛り上がったりも。(当時は更新が2時3時になることもあたりまえにあった気がしますが普通に待ってたような・・。)

 2002年とかになるとTakとかA.Yuzoとかも来て常連(住人)になってましたね。

 2003年頃にはちょっと寂れてたようで、自分も2003年春大学卒業したのも重なり徐々にフェードアウトして、一番最後に残ってるログは2004 年の2月とかでしたが、住人はいるもののほぼ会話なしだったと思います。こう振り返ると流行ってた時期は短かったですね。

 

――今だと記録更新はTwitterに報告する方が多いと思いますが、当時はチャットでそれが行われていた感じでしょうか。

 たぶんそんな感じです。当時、更新した喜びは自分のHPに書くくらいしかできなかったと思うんで、チャットでリアルタイムでできるってのが良かったですね。

 

――チャットでタイピング技術についての議論などもされていたのでしょうか?

 技術についてはどうかなぁ、バチバチ打ちまくって更新してドヤっって感じがメインな気もしますwまぁ、たにごんが来た事で最適化の風は流れ込んだので、それなりに話したとは思いますが、いかんせん自分にはあのレベルの最適化は無理だとあきらめていた気がします(もったいない!)。

 また『タイピングProfessionals』ネタですが、最適化の話でたにごんが「N M を親指っていうのは人から身につけた技術だなぁ」と書いてたけど、117さんが親指使いでそういう最適化の話をTAで話していて、それで取り入れてたと思います。

 

――117さんのその書き込みは僕も記憶があります。当時、最適化しているのは少数派でしたよね。

 いまでは当たり前なんだから、技術の進歩はすごいw

 

――先ほどタイプウェルの話が出ましたが、2000年後半から2001年始めにかけタイプウェルシリーズが一通りリリースされて、だんだんタイプウェルに主流が移っていったのですよね。

 そうですね。でも自分なんかはタイプウェルをやりつつも美佳タイプも長くやってたほうですね。タイプウェルに行き詰まったら美佳タイプ美佳タイプに行き詰まったらタイプウェル。みたいな気分転換として利用したり。

 

――最初の頃のタイプウェルのランクって覚えていますか?

 実は記憶にない・・・。それくらい初期のタイプウェルは自分の中では美佳タイプのおまけってかんじでしたね。当時のTAで育ったタイパーはみんな(といっても少数ですが)最初はそんな感じだった気がします。

 

――あの頃のタイプウェルだと、XC~XAくらいあればかなり速いイメージがありました。

 そうか、ちょっと思い出してきました。国語RでまきしさんがXAで圧倒的で、その下はXCとかでしたかね。KeNoとかでXEとかだったと思うので、自分はXGとかそんなくらいじゃないかなw

 たぶんその時くらいにたにごんが参戦してぶっちぎったんだとは思いますが。

 

――Internet Archiveで遡ると、2001年6月の国語Rランキングではトップのたにごんさんが総合XXを達成していて、doraguさんは総合XDで21位となっています。

http://web.archive.org/web/20010626215014/http://www.twfan.com/twjwr.html

 このランキングを見ると、自分も結構健闘してますね(笑)

 

――この頃はまだZランクもなかったですね。当初「ZJはダサい」という話もあったと聞きますが、むなしいさんだったでしょうか。

 そうですね。Zはダサいからオリジナルの記録を全部XXで止めるのに苦労したって言ってましたね。うらやましい限りですw

 

――話は戻りますが、doraguさんは2001年3月のパセラオフに参加されていたのですか?

 参加してましたよ。関西からはあきうめ君と自分とあとたぶんasshさんと、それくらいじゃないかなぁ。

 その少し前にたぶん人生初のオフを京都ジョイポリスで上記メンバーでやった気がします。古参勢の主流が関東なんで、黎明期は関東でしかオフしてなかったような風潮になってるのが気に入らなかったのでちゃんと言っておきますw

 と言っても、でかいオフになると関東になりがちなんで、3月のオフの後はかなりの頻度で東京に行きましたね。夜行バスで。

 

――京都ジョイポリスでのオフ当時、あきうめくんの印象はどうでしたか?

 あきうめ君の印象は、、、子供w

 ただ前評判はちゃんと聞いていて、自分が敵う相手ではなかったですね。

 でも対戦するまでは、「子供」なんでワンチャン勝てるんじゃないか?とか思ってましたw

 

――初めてのオフ会参加はいかがでしたか?

 そこではフルボッコだったんで、あんまり高揚感みたいな、リアル対戦おもしれぇぇぇ!みたいなことにはならなかったですね。

 TOD対戦にハマったのはやっぱり、3月のオフのTOD大会の影響がでかいと思います。

 

――では2001年3月のパセラオフでのTOD大会のことを詳しく聞かせてください。

 断片的な記憶を掘り起こすと、たしか予選が、あきうめ・yasm・Ibuki・自分の組で、順当(美佳やTODの記録通り)にあきうめ・yasmが抜けたんですが、たしかyasmさんはタイピングの実力は自分よりだいぶ上だったんですが、TODはそんなやってなかったんですよね。

 自分のほうがTODは相当やってたので、勝てなかったことで自分の不甲斐なさを感じてた気がしますw

 まぁそうはいっても仕方ないので、打ちひしがれながら予選突破者の神々のタイピングを見てたんですが、まずは有名だと思いますがKeNo vs あきうめの相手をゲームオーバーに持ち込む戦略にビビりましたね。そんな世界があるのかと。

 この試合が本質的な「TOD対戦」というものの始まりだと思います。それまでのTOD対戦は遊びみたいなw

 あとその時の決勝、Keno vs dqmaniacがまさにその当時の頂上決戦って感じで、対戦動画も後々アップされたんですが(といっても当時Youtubeもない時代なので、全編ではなく要所要所の動画)マジシャン戦の動画は100回くらい見返しましたねw

 高速かつ正確にお互いワードを取り合ってる、まさに神動画でした。

 そういうのに刺激を受けて、TOD対戦にハマっていった感じですね。

 

――それ以来、積極的にオフ会に参加されるようになったのですね。

 はじめてかり~さんと会ったのが名古屋オフでしたよね。

 

――名古屋オフの話、いります?(笑)

 あの話はこのインタビューのメインかと思ってましたがw

 あれはたぶんjxnzさん(愛知のJISかなタイパー)主催かな?

 

――ポカリスエット片手にdoraguさんに遭遇したこと以外、覚えてないんですが(笑)

 いま必死で思い出そうとしてますが、思い出せないですねw

 

――……じゃあ、次行きましょう(笑)

 いやいや!かり~さんの初参加オフはそれですか?

 

――そうですね、初めてあったタイパーはdoraguさんです。

 おお!そいつは光栄!

 たぶん、jxnzさん主催で名古屋でかり~さんも呼んでオフしましょうみたいなコンセプトだったと想像します。

 

――jxnzさんや僕は、当時数少ないかな入力タイパーでした。TODは同じ入力方式でしか対戦できないので、かな対戦できるのが貴重で。

 大阪から名古屋へ行く場合、一番安く行く方法が近鉄の鈍行乗り継ぎで、片道2000円くらいでいけるんですよね。3時間か4時間くらいかけて。学生だったので当然その選択肢をとったんですが、当時かり~さんが三重に住んでいて、大阪から鈍行乗り継ぎ作戦でいくルートとかり~さんのルートが一致するんですよね。

 乗り換えて発車待ちのガラガラの車内で、なぜか片手にポカリスエットをもってる少年がやけに目について。後で確認したらその少年がかり~さんだったことがわかって、やっぱり!ってなったんですよ。

 

――当時、「飲み物の名前はタイピング速い」説があったんですよね、Pocariさんの他にかふぇおれさんもいて。

 そうそう、当時はポカリスエットかカフェオレを飲んでおけばタイピングが速くなるみたいなw

 

――スマホもない頃なので手軽に連絡が取れなかったのですが、ポカリスエット片手に持って先頭車両から歩いたら、もしかしたら見つけてくれるんじゃないかと(笑)

 でもなんか違ったら恥ずかしいから、その時は話しかけませんでしたね、お互いw

 実は本気で覚えてないんだけど、自分もポカリスエット持ってたって後からかり~さんに聞きました。今思うとあほ丸出しでしたね・・w

 真面目な話も書いておくと、かり~さんのタイピングはしなやかな指使いが印象的でした。そして当時たにごんと国語Kの頂点を異次元のレベルで争ってただけあってワードの消えかたが異常でずっと見てて飽きませんでしたね。

 

――その後、たにごんさんとは梅田ジョイポリスで初対戦しましたが、寒さや緊張などもあってか、お互い正確性80%くらいの乱打対戦になったのを覚えています(笑)
あと、オフ会で大きな出来事と言えば、父・信仁さん(あきうめくんの父親)が開催した2001年11月のタイピングサミットですよね。

 まず、家がすげー広くてゲームとモニタがたくさんあってなんかすげーって感じでした(語彙力)。ゲームする環境抜群って感じで、あきうめ君めぐまれた家に育ったなーとw

 全然サミットの感想じゃないですねw

 

――個人の自宅でタイピングサミット開催できるくらいですからね。

 タイピング的には、自分もしょっちゅう関東にオフ行ってて、メンバー的にはいつも通りって感じだったので、サミットだから特別って感じではなかったですね。

 

――逆に、むなしいさんやMADRIGALさんといった関東勢も、6741ツアーなどで関西に遠征来てましたしね。その後、2002年にはWeather Typing(WT)にロビー機能が実装されたそうですが、TypingAttack(TA)のチャット勢もそちらに流れたのでしょうか?

 多少はあるのかもしれません。ただ、WTはWTでコミュニティができていたので、もちろん両方入ってたりはしましたけど、TAはTAの雰囲気がみんな好きだったと思うんで(想像)、どっちかというとTA以外にもいろいろ間口ができたので新規がTAに入ってこなくて廃れたのかもしれませんね。TAのランキング自体も下火で、タイプウェル主流になってたってのもあると思います。

 

――その後、毎パソには参加されてましたよね。

 ああ、そうですね。毎パソはちょいちょい参加してました。

 ただ本戦の会場が東京じゃないですか。もちろんトップレベルの実力者なら気にしないですが、自分程度では東京まで参加賞をもらいに行くってのも割に合わない(旅費が・・)なぁという感じで、予選突破しても辞退していました。
 
一度だけ記念に英文で本選行って、8位入賞の参加賞をもらったくらいですねw

 あ、第何回か忘れましたが(初期のころ)大阪大会は実質1位(※)でした!
 (※2位。1位は『兵庫』在住の ぷんだ ・・・( ^ω^))

 

――それ以降も、10周年オフを始め、タイピングサミットなどに顔を出されていますが、それ以外のタイピングとの関わりは何かありますか?

 セイチャットとかクロスワード(ハンゲ)とか歌謡(ハンゲ)とか、どっちかというとガチ系じゃないのはつまみ食いしてたかも(歌謡はガチでは?という話は置いておいて。。)

 それぞれでオフ会は積極的に主催しましたw レアどころだとmuroroとかネ右とか。タイパー登山部のエースである れえる とかもクロスワードでスカウトしたし、今でもよく飲みに行くのりぼうもクロスワードで知り合ったし、タイピング繋がりだけでもいろんな人と交流したので、タイピングの記録を伸ばすよりも人脈(?)を伸ばしてた気がしますw
 
・・って振り返って見るとこのころもタイピング復帰してたことにはなりますね(仕事辞めたので暇だった)

 2000~2002年が第1次タイピングマイブームで、2005~2007年くらいが第2次タイピングマイブームだったようです。その後(仕事始めたので)今度こそ本格的に引退しました。

 でも、GANGAS閉鎖の際の1か月は復帰してガチで頑張りましたよ。10年ちょいぶりの復帰ですね。

 

――その時はどういう心持ちだったのでしょう。

 絶対更新してやる!って思いだけですね。当時All Machineを目指していて、社会人になるとともにあきらめたんですが、せっかくならそこを目指そうって。普通に考えたらブランクありすぎて無理なんですが、ちょうど同じこと思ってた歌謡勢のmogenson(もきらー)と意気投合して(奇跡的にAllMachineまでの必要スコアはほぼ同じだった)ノリでw

 AllMachineまではオリジナルをXBからXAへ伸ばすだけなんですが、それが大変なのは言わずもがなで、結局無理でしたね。数字1.5秒と、全然関係ない英語のA-FとG-Pがそれぞれ1.5秒くらい伸びましたが。

 GANGASさんにも久々にメールして、いずれALL MACHINEなってやるから覚えとけよ!って痛い感じで約束したので、そのうち真面目にやろうと思います(戒め)

 

――タイピングで一番楽しかったこと、印象に残っていることは何ですか?

 \新記録樹立/ ですよねやっぱりw

 あとは、先の大阪大会で「全日本タイピスト連合~」って呼ばれたときとか、そういう経験がめったにないのでうれしかったですね。

 それと、最初のころにも書いたけど、初めてあきうめ君に会ったときにはTODの実力で負けていたのに、約1年後にあきうめ君から4章5章を実力でとったのが僕のタイピングの集大成です。

 

――昔と今のタイピング界隈を比べて、違いを感じるところはありますか?

 技術面の進歩がすごいですよね。当時はタイピングというコミュニティ自体ができて間もない頃だと思うんで、全然成熟してなかったから仕方ないんだけど、当時そういう技術面のことを突き詰めることができてればと思うともったいないなとw

 最適化といっても当時はnuを人中とかそんなレベルでスゲーでしたからね。ぱらさんとか最適化の体系化をしてた気がしますが、あれの1段階目ですかね。

 他にもアルペジオとかいう発想も、hurahuraはええええくらいでしたし。

 

――当時は対戦といえばTOD全盛の時代でしたし、初速に影響が出るんじゃないかという話もありましたね。

 なるほど。いやまぁでもTWの記録も重視してましたしね。

 あと、これはタイピングに限った話ではないけど、若い人が増えましたよね。たにごんとか、出会ったころはもう社会人でしたが、「中学の頃が一番速かった(指が速く動いた)」とか言ってたので、(ほんとにそうだったのかはわかりませんが)若い時に始めたほうが有利なのは間違いないですしね。

 

――最後に、今後のタイピングとの向き合い方や意気込みを聞かせてください。

 かり~さんからこのインタビューの話を受けたときに二つ返事でOKしましたが、正直場違いかもと思ってました。

 が、いまコロナの影響で在宅で仕事することが多いのですが、実は復帰するには良い環境なのでは?とも思ったので、ちょっとだけ復帰してみようかなーなんて思ってます。(第3次タイピングマイブーム到来!?)

 

ということでひとまず

WT Lv8(qwe)

TW AllMachine

を目標に細々とやっていこうかな!?

 

◆ ◆ ◆

 

 doraguさん、ありがとうございました!
 今回お話いただいた以外にも「関西でのKeNo vs プラタナス氏の頂上決戦」や「KeNoの一人プレイで一般人ギャラリー20人超ついた」話など、TOD全盛期時代の書き残したい話はまだまだあるそうなので、AllMachineを達成した暁にはまたお話を伺いに行きたいと思います(笑)
 
古参勢の活躍は個人的にも励みになるので、更新期待しています!

 

 なお明日のタイパーアドカレ2020は、白狐さんの「タイピングが伸びなくなったので指を使う音ゲーを布教する」とのことです。そちらもぜひこ覧ください。